竹村 ほまれ(誉)はこんな人

1960年(昭和35年)中沢 菅沼 で誕生。幼なじみと近所の野原を駆け回り、かけっこやマラソンが得意な少年でした。

・中学時代、郷土クラブで故郷の歴史を学び、カレンダーにして残し、園芸部活動では中庭の庭園造りの先駆けとなりフラワーブラボーコンクールの受賞に貢献。現在駅伝で有名な駒ヶ根東中学校陸上部員だった「ほまれ」は3年間学校の周りをよく走り、他の学年や級友から感心される?呆れる?存在でした。

中学卒業後、働き学ぶことを決意。
   親元を離れ松本筑摩高校定時制、松商学園短期大学 商学部2部を1981
年(昭和56年)3月卒業。

高校では、生徒会副会長、バスケット部部長、寮生委員をつとめ、常に仲間の頼れるリーダーシップ的存在でした。

アルバイト先では、寿司屋の出前持ちや溶接工、家庭機器の卸しを経験し、働く喜びを松本の地で学びました。

職場体験

・卒業後、伊那市の長野日本電気(NEC長野)NECライティングに30年間勤務。
  主として家電製品の修理や品質保証、品質管理の業務に携わった。

働く者が厳しい時代で途中何度かの理不尽なリストラで多くの仲間を失い、自身も昨年のNECライティングの閉鎖で仲間とともに退職を余儀なくされました。
 特に忘れられないのは、最初のリストラの時(1999年12月)クリスマスイブに150名以上の仲間が職場のあちこちで涙の別れを惜しんでいる光景でした。

社会活動

・勤労学生の体験と厳しい職場の経験から社会の矛盾に目覚め、科学的社会主義を学ぶ上伊那学習協に参加、その事務局としてまとめ役につとめています。
 日本共産党には25歳で入党、
駒ヶ根市副委員長、安保・平和・暮らし・福祉・子育て・教育・雇用・環境など、暮らしをまもる運動の上伊那規模の活動に参画してきました。

趣味

 毎朝1時間程のウォーキング   

時代小説の読書

家族 駒ヶ根市 赤穂 町4区 北の原に妻と一男一女  中沢 菅沼に両親と在住


天竜川河畔をウォーキング   (駒ヶ根市下平)